これはもう、夏の終わりと秋の始まりなのか。Mari Mari 、Little Tempo

このところめっきり朝晩涼しくなって、8月中に作成したYOUYOU通信の文章(「今年の夏は本当に暑いです」)に現実味がなくなってきていますが『そばちょこ展』引き続き開催中です。

しかし、あんなにうるさかったセミの声が聞こえなくなり、もはや秋の虫たちの合唱になっていたりして複雑な心持になります…。
毎年、夏には「あれ?いつからセミ鳴きだした?」ってことと「あれ?いつの間にセミ居なくなった?」ってことが気になります。特に『最後のセミ問題』についてはちょっとつらい。いや、セミには「俺、最後かよ…!」なんて概念はないのかもしれませんが、あまりにもずれて生まれてきてしまい、鳴いても鳴いても最後の1匹で仲間の誰とも会えず、死んでいく、なんてことがあったら…うわぁああああ、切ないじゃ済まない!夏の終わりにはそんなことをふと想像しては胸が締め付けられます(未婚のせいかなんかチガウ感傷)。

感傷。夏の終わりの変化にいつの間に取り囲まれているこの時期の感傷ったら。
夜はどんどん早くなり、昼間はどんどん短くなる。心臓をきゅうと絞り上げられるような寂しさに襲われます。
夏の終わりってなんだか世界の終わりのようです。




こんな時期の私は灯りに集まる蛾のようについついファミレスに引き寄せられてしまいます。
あの、どこか無責任な明るさ、現実味の薄い楽しそうな雰囲気、隣の席の賑やかなな騒がしさ、ある種の俗っぽさ。自分と全く違う時間の流れがいくつも確かに流れていること、そこにもちろん私も含まれていることを一人ぽつねんと感じるのはなぜだかちょっと心地好い。すべてが自分ではないということ。摂理があるということ。一種救済と喜び。

そうだ、夏の終わりと秋の始まりは、寂しいばっかりじゃないんだ。

夏の終わりに聴くダブもまたいい。夜のドライブなんかで聴いちゃうと、音と季節とが一緒にじわじわとしみ込んできて、帰れなくなるのです。「このまま帰れない」って聖子ちゃんとは全く違う状況で感じる私です。




美味しいものたくさんの秋。
金木星の香りいっぱいの秋。
青空はどこまでも高くくっきりと淡く、夜空は星々が瞬き、木々は紅葉してなんとも美しい秋。
そんな秋がいつしか心と身体に馴染んでいくのを今年もゆっくりと待とうと思います。

馴染んだ頃には、きっともう、新蕎麦が美味しいとき。

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by g_yoyo | 2015-08-29 11:00 | 音楽。 | Comments(0)

茨城県笠間にある陶芸ギャラリー曜燿のブログです。


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